一時期と比べて、寺院で葬儀をする方が増えてきました。寺院を利用して葬儀を行った方は、本来の葬儀の姿に感動して頂けた事と思います。本堂に勝る、祭壇はあまり見かけることはありません。庫裡での宿泊も可能ですし、なにより、故人も安眠して頂ける事でしょう。
葬式に関しては、最近「家族葬」という言葉が出てきています。どうも、規模の事を指しているようですが、弔問を受けない事もあるようですが、どうもはっきりした定義はないようです。
お寺は地域の皆様方のものであり、檀家様のものでもあります。住職が代表して管理をしているに過ぎません。お寺とはそういう場所です。葬儀に必要な設備や備品は、既に揃っています。
特に地元の沼津近郊にお住まいの方は、是非、ご利用ください。
これからも、多くの方に利用して頂ける事をお待ちしております。
お寺で葬儀をする場合、下記のような利点があります。
最近、マスコミなどで「家族葬」などという言葉が使われるようになりました。少し前には「自然葬」という言葉が流行しました。葬儀とは誰の為に行うのか、その中で我々寺院の役割等も考えさせられる事も多くなりました。
葬儀は故人の為に行うのか、残った家族の為に行うのか、弔問に来る人の為に行うのか、様々な考え方がありますが、葬儀というスタイルは時代によって変わります。世の中の景気も葬儀のスタイルに変化を付けます。景気のいい時代には、盛大に葬式を行うケースも多くありました。
現在ではどうでしょう。老夫婦が地方で暮らしている場合もあり、逆に都市圏では孤独死という現象も起こっています。首都圏では近所付き合いも希薄になり、隣に誰が住んでいるのかもわからないといった時代でもあります。高度経済成長の歪とでも言いましょうか、悲しい現実であります。
人は支えあって生きていく生き物で、故人が生前にお世話になった方々に、残った親族の方々が最後のお礼を言う機会が葬式の場です。逆に故人にお世話になった方が、その親族にお礼を言える機会でもあります。精神的につらい思いをしている親族を励ましてくれる方もいます。葬式とはそういう場所ではないでしょうか。
親族、友人、知人を含めた全ての関係者が、感謝の気持ちを持って接することが出来る、故人が出来る最後の仕事ではないでしょうか。親の死は子供にしてあげれる最後の勉強の場となる事が多いですが、そういう場の一つではないでしょうか。
どんなに時代が変化しようとも、人間の心はそう変わるものではありません。葬儀のスタイルが変わっても、その心は変わらず、人間らしく生きていきたいものです。もし、感情よりも、経済(効率)や法律が先行してしまい、やむおえない事情が無いにも関わらず、ただ火葬をすればよいという時代が来たとしたならば、人としてなにか大事なものを無くしてしまうような気がします。
そうならないためにも、多くの方々の人としての学び場として、寺院を利用して頂きたいと思います。